【大学4回生で休学】就活中の休学が、私の生き方を幸せにしてくれた話

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ライフ

どこまでもアジアが大好き。
アジアニスト、おのまり(@asianfoodnist)です。

 

私がブログを書き始めたきっかけ。それは、私のこれまでの人生が大きく関わってるような気がします。その中でも、大きな決断であった「休学」が、大きなターニングポイントになりました。

「おのまり」を知ってもらうため、そして自分のためにも、考えの整理をしなくちゃ…そんな想いが心にふつふつと湧き上がってきました。なので、このコラムで私が休学したことについて書いてみようと思います。

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退屈だった中高生活


きっと多くの人が生きている中で、「自分の人生これで良いのかな?」って思う瞬間があると思います。

私もそのひとりでした。

学生時代、ずっと自分の生き方について考えてきたんです。自分のやりたいことなんて分からずに、ただなんとなく過ぎ去る毎日が退屈でたまらなかった。私にとっての「なんとなく」を、周りのみんなは思いっきり楽しんでいるようで、キラキラして見えていました。

気が合う、合わない関係なく、みんなで一緒に、みんなで同じに、みんなで、みんなで….。そんな空気が学校にどことなく流れている気がして、周りに敏感になっている自分は「もっと自由に過ごしたい」と思ってました。でも、その空気に溶け込めない自分は、学校生活から取り残されると、自分自身で思い込んでいました。

中高とも、部活は途中で退部しました。それは、人間関係や運動のキツさが理由ではなくて、心の底から楽しいと思えなくて、他にもやりたいことや自分が魅力的に思うことが沢山あったから。でも、3年間、ないしは6年間部活を続ける人が多かったので、家族や周りからは「忍耐力がない」とか、「将来困るよ」とか沢山言われました。

だから、周りに合わせられない自分、何もない自分が嫌いでたまらなかった。自分の心の中で「これはしたくない、これがやりたい」と思うことがあっても、「周りと違うから」「将来を思うからこそ」と反対される。次第に心と表にギャップがあり過ぎて、何をしていても偽っている気がして。毎日友達と話してる自分が、家族と話している自分が嫌いで嫌いでたまらなかった。

「自分って何なんだろう」

毎日こんな考えがぐるぐると頭の中を駆け巡って、楽しい学生生活を送れていませんでした。
今思うと、周り考えや態度、全部、その「嫌いな自分」の思い込みに過ぎなかったんだと思います。でも、その時の自分は、周りに合わせて生きていくことが全てかのように思い込んでいたので、自分の心のまま学校生活が送れない自分に不安すら抱いていました。そして、いわゆる「自分探し」と呼ばれるものにはまっていました。でも、この機会があったからこそ、自分と向き合うことが出来て、よく考える「おのまり」が出来たんだと思います。


そんな何か分からない不安を抱き続ける自分を変えたくて、自分を支えてくれる目に見える何かが欲しくて、高校生の時はキャンプリーダーや副級長も経験したりしました。でも、それは学校という場から与えられたチャンスに、ただ乗っかているだけだったんです。もちろん、それを経験したからこそ分かったこともあるし、今の自分が作られているのは、その経験もあってこそだとは思っていますが。

だから大学に入学した時、ある意味で自由になった時、私には本当に何もないと思いました。与えられてきた環境もない、「みんな一緒」のみんながいない。嫌いだったはずなのに、望んでいた生活になったはずなのに、全然楽しくなかった。

そのまま大学生活を送り、友達と一緒に居ることがしんどくなり、授業の意味も見いだせず、毎日が重くて苦しくなりました。もちろんサークルや部活動なんて所属することもなく…。今考えると、ほぼ鬱状態になっていましたね。

でも、大学2回生の時、そんな自分を大きく変えることに出会ったんです

 

新しい世界との出会い


大学生活を送る中で、ふと「このままじゃ一生しんどいまま。嫌な自分のままだ。」と思ったんです。ずっと、何かを変えなきゃと思う自分はいたんですけど、何もやりたくない、誰にも会いたくないっていう自分と戦い続けてたんです。一歩踏み出す勇気がなかった。

そんな中で、唯一私が救われたこと。それは【食べることが大好き】だったこと。「え?そんなこと?」って思われるかもしれませんが、どんなに毎日だるいと思っていても、ご飯を食べて、食のことを考えている時はワクワクしてました。

そのワクワクがあったからこそ、一歩踏み出す力が生まれたんです。大学なんて自由なんだから、もう嫌な生活や環境に身を置く必要なんてなくて、その好きでワクワすることに時間費やしても良いんじゃないかと。そして、その好きなことは、何も大きなことじゃなくて、ただ自分が好きだと思うこと。それだけで良いんだと、やっとそう思い始めたんです。


そんな時、アルバイトでパンを大量に廃棄する場に出会いました。
飲食でアルバイトしている方なら分かるかもしれませんが、シャッターが閉まると同時に、さっきまで商品だったものはゴミになるんです。想像は出来ることだったけど、実際に自分の目で見て、手で捨てるのは、心に突き刺さるものがありました。

「私が大好きな食が、こんな簡単に捨てられてる….。」

言葉では聞いたことがあったショクリョウハイキが、完全に私の心に「食糧廃棄」として着地した出来事でした。あまりにも日常的に、そして習慣的に、大好きなパンが大量にゴミ袋につめこまれる光景。とても、大きなショックでした。

ちょうどその前に、「飢餓、貧困」をテーマにした講演会に参加したこともあって、捨てるほど食があまる場所とその日食べるものがなくて苦しんでいる場所。豊食と貧食。同じ地球の、そのアンバランスさに、色んな想いが心にぶつかりました。

「食の価値って何なんだろう」

 

そんな想いから、もっと食を知りたいと思うようになり、食に携わる人に連絡を取って会いに行くことにしました。今思うと、何の面識もない学生に、わざわざ時間をさいて会って下さる、素晴らしい人達との出会いだったなと思います。この出会いが、毎日が退屈に感じていた私を、少しずつ引っ張りだしてくれた。今までの私の人生が、決して無駄ではなかったと思えるようにしてくれたんです。

自分で連絡を取って会いに行った人達との出会いが、色んな繋がりをもたらし、地産地消のマルシェのボランティアや廃棄食材のレストランスタッフ。そして、有機農業塾やみんなで食卓を囲む会、生産者と消費者のご飯会などなど。本当にたくさんのものに参加し、携わらせてもらいました。


そこで、自分の知らない食について知り、学びました。最初にあった「食の価値って何だろう」という考えも、少しずつ、自分なりの「価値」について考えるようになっていました。

 

そして、何よりも感じたことは、「自分はなんて狭い世界の中で生きていたんだろう!」ということ。
「自分が思っているより、世界はもっと広いんだから」という言葉は、よく聞く言葉でありましたが、本当に自分の身をもって感じました。

狭い世界にいることに馴れると、それが当たり前になって、気づかない内に視野も狭くなって、安定とか安心とか、何の保証もないものを自分で創り上げてしまう。いくらでも新しい世界に触れることは出来たはずだけど、その世界を探し出せないくらい視野の狭い自分になっていました。

そう気づいた時、「どうして、自分はそんな視野が狭くなったのか」考えてみたんです。
決してひとまとめには出来ませんが、学生って、高校とか大学とか、どうしてもその枠、環境の中で物事を考えることが多いですよね。無意識に。そして、絶えず与えられる環境にいる。もちろん、その環境に気づいて、自分でアクションを起こしている人も沢山います。でも、その時の私は当たり前の環境を当たり前にしか受け止めることが出来ませんでした。同じ時間に登校して、決められた授業を受けて、規則を守り、ただ流れる時間にのっかってた。この日本には、そういう「なんとなくの流れ」がとても多く存在していると思います。それが良いこと、悪いことだとかではなく、今過ごしている自分の時間をどう捉えるのかがとても大事だと思うんです。

その時の私の場合は、ただなんとなくの時間にのっかる自分から少し離れて、客観的に見ることが出来た時、本当の自分に近づいていくことが出来たと思います。

新しい世界に出会ってから、食に対しての学びに加えて、新しい感情にもたくさん出会いました。自分の感情の振れ幅が、こんなに大きかったとは知りませんでした。
自分らしくいれる場所を知り、どんどん考えや感情が進んでいきました。そんな自由になった心と頭は、「自分は何がしたいのか」とか「どんな」についても、自然と沢山考えるようになりました。

まだ、はっきり自分が求めているもの、創りたいものがは分かりませんでしたが、初めての感覚や出会いばかりで、毎日忙しかったけど楽しかったです。

 

就活目前に壁にぶつかる

そんな楽しい日々を送っていたんですが、ふと2年ちょっと色んな活動に参加し続けてきた時。自分の心と、やっていることとの間に、ギャップを感じることになったんです。

私は食が好き。それを、「人の欲求だから」と片付けられることもあるけど、私は【いろんなおいしいが存在することにワクワク】するから好き。


小さい頃から家族みんなが食に対しての執着心が強かったことは否定出来ません。笑
でも、私は家族で囲むごはんも、ひとりで平日にのんびり食べるごはんも。ダイエット中に食べるハンバーガーも。ミシュラン付のごはんも。市場でおばちゃんと話しながらたべるごはんも。全部おいしいだけど、それぞれに違った良さがあって、人や空間によって味が変わって。同じ味がなくて、全部新しくて、ワクワクする。
これが食好きのベースでした。

その食好きが食糧廃棄と出会い、「苦しむ人の存在を知っているのに、見過ごす自分でいたくない」と感じ、色んな活動に参加しました。そこで、今まで知らなかった食の世界、「有機野菜」や「健康ご飯」「地産地消」のもとで活動を広げてきました。食がカラダに与える影響や、新鮮で安全な食の価値、顔が見える良さ。全部の良さや魅力を知ったからこそ、選ぶ時に気をつけたいと思ったり。活動をする人や消費者の気持ちも理解出来ました。

けれども、その中で過ごしている私は、もともとの食好きのベースの存在が大きくなっているのを感じていました。安心安全の食や、勿体なさが限りなくゼロに近い食…。でも、より魅力を感じるのは、人や空間によって味が変わる、自分がワクワクする食。

魅力を感じる食活動してきて出会った食色んな経験を経て生まれた自分の気持ちとしている活動にギャップが生まれました。

このギャップには気づいていたけど、「学んで新しい食の良さを知ったのに」「長くやってきたこと離れるなんて」「食糧廃棄への問題意識があったはずなのに」「こんな気持ちが自分にあるなんて卑怯なことなんじゃないか」….。そんな想いが、ギャップを感じた自分をなかなか許せずにいました。

 

そして、そのまま就活の時期に突入したんです。
モヤモヤした心を偽るように、望んだ就活。もちろんエントリーシートには、ギャップを感じる前の良い自分しか書かない。だから面接でも、今の自分ではない、過去の自分しか語れない。ある日、素直な自分で望めない就活を続けているのがしんどくなりました

でも、周りは一斉に就活を始めて、まっしぐら。みんな黒のスーツを着て、面接に行って、学校では就活のことばかり。何社受けたとか、面接に受かりやすいポイントとか…。人ってこんな風に計ったり、統一出来る存在だっけ?そんな疑問を持ちながらも、ギャップを感じている自分が何にモヤモヤしているのか分からなくて、就活しているみんなが羨ましくもあったりしていました(就活が未来を描く手段にするべきだと思ったわけで、就活が決して悪いと思ったわけではありません)。

そして、途中でほとんど就活をしなくなった私に、周りの人は「みんながみんな素直な自分で望めるわけない」「ちょっとの嘘くらいつけないとシャカイで生きていけない」「とりあえず働かないとお金はどうするの、生活はそどうするの?」「自分の好きなことを仕事にする人なんでほんのひとにぎりだから」「自分の好きなことなんて、仕事しながら見つければ良いでしょ」….。

周りの人の声に、ギャップを感じ続けてる自分は悩みました。たくさん不安になりました。
そして、このときの感覚が、中高時代の「周りに合わせなきゃ」と思い込んでいた自分と重なりました。

 

休学の決断


自分は自分で良いし、かぶらないから面白いんだ! 過去に嫌だと思う自分がいたなら、そこに戻らないように自分ですればいい。

そして、責任が先走っても何も出来ない。自分の幸せを考えられないほど悲しいことはないから。

 

何にモヤモヤしているか、実態が分からないものに不安になっていた私が分かっていたことはひとつ。
このまま会社に勤めて、今目の前にある悩み、課題から避けることはしたくないということ。

だから、私が出した答えは「就活を辞めて、今休学する」大学4回生の秋学期から休学するという道でした。

そして、説明会や面接に行くことをやめ、その分自分の気持ちと向き合う時間を沢山作りました。この時間は、作れば作るほど、偽りの自分が消え、どんどん「みんな」から離れていくみたいで。その時の私は、とても不安でした。でも、ただ中高や大学の最初の頃の自分に戻りたくはないと思う気持ちが、向き合う時間を濃いものにしたんだと思います。

そして、冷静な自分に戻りながら、気づきました。

仕事の中に自分の人生があるわけじゃなくて、人生の中に仕事(働く)があるんだなと。これって当たり前のことだけど、息も詰まるくらい壁にぶつかっていた自分は、意外と分からなくなっていたんです。まず考えるのは、自分がどんな生き方をしたいのか。そっちを考える方が先だと。

自分の人生は1回きり。その中で、自分を偽っている時間なんて必要なんてない。なら、今自分がワクワクしたり、好きだと思ったりすることに時間を使う方が良い。じゃあ、この時間を作るためにも、今の自分はこの道を進むのは良くないと思ったんです。

休学を決断した時は、留学するのかインターンをするのか…これからどうしていくかは決めていませんでした。ただ、自分の心から好きだと思うことや、心の声に素直に従って、自分が好きな自分に戻っていく、近づいていく休学だと決めていました。

もちろん、休学の1年間で自分の好きなことや求めているものが見つかるなんて、これぽっちも思ってません。家族からは「自分の好きなことが見つかろうが、見つからまいが、これが最後」と言われましたが、私は見つかることへの期待は抱いてませんでした。だって、好きなことって「これ!」って言い切れるものじゃなくて、ずっと死ぬまで追い求めていくものだと思うから。目標の目標が生まれるみたいに、好きなことが出来たら、また新しい好きなことが生まれる。だからこそ、楽しくて、人が輝くんだと思っています。

明確な何かがなくても、休学という選択が100%、私にとってプラスになるものだと確信しています。だって、自分で考えて選択した道だから。誰かに決めてもらったものじゃないから。責任があって、自由があるから。間違っても、あの時の嫌いだった自分が選択したものではないから。

 

休学中の生活

実際に始まった休学は、思ったより孤独でした。私は他の人が何をしているかとかはあまり気にしなかったですが、自分がまだやりたいことを明確に出来ていないことに、焦りを感じたり、このまま過ごしてたら、何もなく休学が終わるんじゃないかとか不安だった。そこで、私は自己啓発の本をたくさん読みました。

休学を決断してからは「自分がギャップをどうして感じたのか」や、「自分の好きなことは何なのか」ひたすら向き合う時間を作った後、これからのことについて計画を立てました。そして、休学してすぐ1ヶ月間だけ能登に移住しました。

自然豊かな大きくて広い能登で、思考がどんどん進みました。フードロスに出会って、こだわりの食に取り組んできた自分と、いろんなおいしい食が好きな自分。取り組んでいることに、ギャップを感じ始めた自分。それを素直な言葉にすると、自分はその場にいても、ワクワクしない。初めて学んだ時は、もちろん学びはあって楽しかったけど、今の自分はそこに居座っていても前に進めないということ。

考えて、時には能登で人に出会いながら、気づいたこと。それは「自分の幸せすら、ます満たせていないのに、誰かのためになんて出来ない!」ということ。

能登で出会ったある人に「マズローの欲求5段階説」を教えてもらったんです。それが、ギャップを感じる自分大きが何にモヤモヤしているのか、考えを進めるなきっかけになったんです。

 

私の場合、「食べること=ワクワクする」これがベース。
だったら、それが邪魔されない程度に、この幸せがあるから「フードロスなかったら良いな」くらいで今は良いんじゃないのか、ということ。そこで初めて気づいたんです。自分の幸せすら考えられてない人が、誰かの幸せの実現や問題解決なんて出来ない。ギャップあることを感じてる自分が「フードロスが…」なんて言ってても、心がないから、何も生まれない。

自分のことは自分が一番分かっているようで、一番理解することが難しかったりするんですね。 客観的になかなか見れないじゃないですか。だから、能登で周りの人からの言葉に沢山助けられました。

そこで【自分を幸せに、自分を愛すること】にフォーカスすることにしたんです。
今になって、まずベースに戻ってきた感じ。でも、考えぬいて、ココに戻ってきたから、焦りなんてありませんでした。

「自分の幸せ」。それは学ぶだけじゃだめだ。次は自分で経験しながら創ることをしたい。参加者とかボランティア止まりでは、自分がしたいこと、幸せ、好きなことには近づけないと思ったんです。
感じるだけじゃ、誰でも出来ることで。その感じたものを、自分の感じたままに、もっと実践というか、創ることをしないと!と。
だから、休学の後半は自分の気になることは心のままに何でもやっってみることにしたんです。
そして、常に自分はどんな時に幸せを感じているのか意識するようにしました。

これまでで言うと、イベントスタッフやインターン。そして、海外旅行に行きまくりました。


そして、今はというと、ずっと行こうと決めていた語学留学に3ヶ月間ですが、来ています。場所は韓国!これを言うとだいたいの人に、英語圏じゃないんやーって言われます笑 でも、良いんです。自分が韓国に行く理由が明確にあって、学びたいと思ってるんだから。

これからの”おのまり”

今、学生生活を振り返って自分に言いたいことは、「もっと自己中心になって生きて!」ということ。自分の人生について考える時間をとった人は、いわゆるジコチューと呼ばれるようにはならないから。だから、もっと自分の欲に正直になって、色眼鏡を外して、自分を見つめて欲しい。そして、今の自分を認め、少しの余裕が生まれたとき、周りの人にも幸せを分け合って欲しい

今こうして休学した自分は、これまで歩んできた毎日に無駄な時間はなかったんだと言えます。もちろん、かなりの時間を悩んで過ごしていたわけですが、その時間がなかったら今の自分はいないんだろうと思うから。

私が一番大切にしていることは【自分を幸せに、自分を愛する】こと。これは永遠のテーマだと思ってますが、このテーマに今出会えたことはとても幸せなだと思います。

 

自分の枠をとっぱらって、誰かの目を通して自分を見るのではなく、自分で自分を見ること。周りにどう思われているかではなく、自分がどう思うのかということ。そして、もっと沢山の人世界に目を向けて、人に出会って、話して。そしたら私が知ってた人生なんて1%もなかったって気づく。

自分の人生は家族が、友達が決めれるものではない。愛してる人は何よりも心強い存在だけど、自分の捉え方が甘かったら、器が弱かったら、きっとその愛は自分の足どりを妨げる存在になってしまう。未来なんて誰も分からない。家族や周りの人は、きっとこの子はこれだったら幸せだろうとか、これをしたら不幸になる、と自分のことを気にかけて、色んなレールを引いてくれるはず。でも、その幸せは自分にしか分からないんです。だって、同じタルト食べても、自分はおいしいと思っても、友達はおいしくないって言うことあるじゃないですか。そんなささいなことですら、違いがある人間なんだから、人生の幸せなんて、果てしなく長くて大きい幸せなんて、感じ方が同じなんて絶対ないです。

だから、自分を信じることが出来るのは自分だけ。まずは自分が良いと思うものだけに歩みよれば良いと思う。

ある人は「幼い、わがままだ」と言うかもしれません。ある人は「今更気づいたの?」と言うかもしれません。でも、そんな風に思う人が居ても良いんです。自分の隣を見れば、周りを見渡せば、支えてくれる人がいるから。その人達は決して距離が遠かろうが、近かろうが、側に居てくるから。
そして、何より今の自分を一生懸命に応援し続ける、自分が居るから。


私は留学から帰ってきたら、そのまま大学に復学となります。それまでの休学生活をやりきって、復学後も思いっきり楽しみます。

もちろん嫌いな自分も、直したい部分も、他の人への憧れもまだまだあります。けど、変わったことは、それらに対する考え方。直したい部分があれば、直せば良いし、嫌いな部分があれば、受け止めてあげれば良い。他の人に憧れても、自分はその人にはなれないし、きっとなれても面白くない。人とかぶらない個性が、人を魅力的にすると思うから。

自分に自信なんて、まだ全然ないし、人前で話すことも、人に自分の気持ちを伝えることも、上手くないです。でも、少しずつ、自分のペースで歩んでいきます。


そして、これからも、おいしいものを沢山食べて、インスタもブログも続けていきます。

ここまで書いてきたことは、私が感じたものであり、私の生き方です。だから、呼んでる途中でも「これおかしい」とか「こういう人はどうなるんねん」とか、きっと色んな考えが交差するんだと思います。でも、自分が存在しているということが、まさにそういうことなんだと思います。
今の私「おのまり」は、おのまりにしかない生き方で、感情があり、個性がある。
ひとりの人として、読んでいただけたならば幸いです。

「休学」や「就活」のワードに引っかかったり、同じ悩みを持つ人の目にとまった時、何かしらの光になれれば良いな…とも思います。

さぁ、明日も素敵な1日にしましょう!!

 

▼おのまりが大好きな本

 

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